タカサキの「結局プロレスが好きっ!」

富山県氷見市の接骨&指圧鍼灸院院長の趣味ブログです。 ご意見はtakasaki@p1.cnh.ne.jpまでどうぞ

カテゴリ: 全日本(1990年代)

89世界最強タッグでハンセンと組んで出場し

馬場から歴史的ピンフォールを奪い

最終戦で五輪コンビを破って、完全優勝した天龍源一郎


正直言って、この段階で

全日内では、天龍革命もほぼ成し遂げた感もあり

90新春ジャイアントシリーズでの動向が

非常に注目されました。


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平成2年1月2日、開幕戦となった後楽園大会


J鶴田、G・カブキ、高木功 対 天龍源一郎、川田利明、S冬木

の6人タッグに於いて

同じ相撲出身ながら、今イチ覇気が見えない高木を

ボコボコにして、完全KOを食らわします。

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すると翌日の同所大会での

天龍 対 I・コロフの入場時

高木が椅子を持って、天龍を襲いました。

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そこで20日、上田大会で

鶴田、高木 対 天龍、川田が組まれたのであります。

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しかし、この試合でも

高木にやる気が感じられなかったのか

天龍はコーナーで蹴りまくった後

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「高木では役不足。話にならん」

とばかり、リング下に下り

全日セコンド勢を相手に、1人で乱闘を繰り広げたのです。

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これに怒ったベテラン勢

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特にカブキは天龍にアッパーカットを浴びせました。

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そして急遽、5日後の郡山大会で

鶴田、カブキ、井上 対 天龍、川田、冬木

の対戦が組まれ

何とエプロンの天龍に対し

井上が捨て身のヘッド・アタックを浴びせ

リングアウト勝利を収めたのです。

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1月28日、最終戦の後楽園大会


天龍のターゲットは高木よりも

むしろカブキや井上の方に向かれた感がありましたが

それでも当初の予定通り

天龍と高木のシングルが組まれました。

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ここでも高木にいいトコは見られず

5分で天龍はサソリ固めでギブアップ勝ち

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天龍はこの2週間後

新日・東京ドーム興行への参戦が決定してましたので

その眼中にあるのは高木ではなく

長州力だったのかもしれません。


ともあれ、天龍はそれ以後


ハンセンと仲間割れ、天龍同盟解散、全日電撃退社、SWS参戦・・・

と、あっという間に人生が変わってしまいました。


しかしこのシリーズの天龍の乱心ぶり…全日側としては天龍同盟解散…から、また孤立しての5月14日、東京体育館でR木村との一騎打ち、6月8日、日本武道館でのG馬場との一騎打ち…からの夏以降にタイガーやカブキと新同盟結成…というアングルを予定していた…と、勝手に推測します。


ところが天龍は天龍で、内密にSWSと契約し、3ヶ月後に全日を離脱してますので、一連の行動が「心ここにあらず」からくる乱心にも感じられますからすごいですね。

91新春ジャイアントシリーズ

平成3年1月11日、高知県民体育館に於いて

J鶴田、田上明 対 S・ハンセン、D・スパイピー

の一戦が行われました。

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8日後の19日、松本大会では

鶴田とハンセンの三冠戦が予定されており

前哨戦として、重要なタッグマッチであります。


試合はハンセンが豪快なラリアットで田上をノックアウトし

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18分13秒、外人組の勝利に終わったのですが…


この直後、鶴田が乱入し

ハンセンに対し、強烈なジャンピングニーを見舞ったのです。

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まともに食らったハンセンはピクリとも動かず

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鶴田と樋口レフェリーも心配そうにのぞき込みました。

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スパイピーの介抱により

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どうにか目を覚ましたハンセンですが

目を覚ました後に、ボーっとして動くことができない様子です。

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その後、ようやく状況を把握するも

頭に来て、鶴田に襲い掛かるようなことはしませんでした。

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この失神が、三冠戦に於いて

特に因縁とするようなこともなかったように思います。


87年3月の龍原砲にサンドイッチ延髄を食らった時の場合はともかく

今回は本当にアクシデントだと思います。


おそらく失神から覚めるというのは

リアル的には、こういう状況なんだと思いましたね。

新日のトップ外人の1人であるS・ウィリアムスが

円満的に全日に移籍したことで

平成2年6月5日、千葉公園体育館では

S・ハンセンとの注目の一騎打ちが実現しました。

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リングインするや

「ここでは俺がトップだ」とばかり

ハンセンが凄い形相でウィリアムスに突っかかりますが

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早い段階での場外・鉄柱攻撃で大流血

顔面血ダルマのとなります。

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ペースはすっかりウィリアムスのものとなり

右手を回して勝利宣言

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そして、ハンセンを抱え上げ

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そのまま走って、一方のニュートラルコーナーへ叩きつけ

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更に対角線に走るも

助走の途中で後方に飛び降りたハンセンは、ウィリアムスをコーナーへ激突させ

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戻ってきた瞬間を狙って、強烈なラリアットをぶちかまし

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16分51秒、大逆転のカウント3を奪ったのです。

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新日では、ベイダー、ビガロに続いてナンバー3の位置だったウィリアムス(*私的評価です)

全日ナンバー1のハンセンの底力を肌で痛感したのかもしれません。

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またハンセンにしても

当年はベイダーと2試合、ホーガン、ウィリアムス、そしてこの3日後にゴディとシングル

新日では三銃士とタッグ対決

タッグでは天龍、スパイピーとコンビ結成、また長州、アンドレとも1日限りのタッグ…

と、レスラー人生の中でもかなり変化に富んだ年だったと思いますね。

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全日・チャンピオンカーニバルは

平成3年より2リーグ制ながら

9年ぶりにリーグ戦方式が復活


3月23日、後楽園ホールにおける開幕戦ではいきなり

S・ハンセン対D・キッドという

全日ファンのみならず、新日ファンも…

いやっ、全プロレスファンが待ち望んだ究極の外人対決が実現しました。

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体格差で圧倒するハンセンは

キッドの胸板に強烈な逆水平の洗礼

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そして、ボディスラムでマットに叩きつけ

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全体重をかけたエルボードロップ

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そして場外ではイス攻撃

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中に入ってコーナーのキッドにタックルを狙いますが

これを両足のキックで防いだキッドは

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「殺られる前に殺ってやる」とばかりのラリアット

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そして、高速のブレーンバスター

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トップロープからのダイビング・ヘッドバッド

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とお得意のコース


しかし、ハンセンから3を取ることはできず…

最後は本家本元のラリアットに沈んだのです。

(6分59秒、エビ固め)

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当年暮れに引退したキッド


実現が遅すぎたのかもしれませんが

それでも実現してよかったと思います。

平成2年5月14日、東京体育館

同所でこけら落とし興行となったメインエベントは

G馬場、J鶴田 対 T・ゴディ、S・ウィリアムス

の一戦でありました。

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2カ月前に天龍、ハンセンから世界タッグ王者を強奪した殺人魚雷コンビ

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一方、BT砲の大会場でのコンビ結成は7年ぶりぐらいでありましょう。

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観客席には負傷欠場している新日の藤波辰爾が観戦しております。

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それを知ってか知らずか

試合の方は、久々のメイン登場の馬場が張り切り

ゴディに脳天チョップ

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ウィリアムスにネックブリーカーを仕掛け

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ペースを握りました。


しかし、ゴディが馬場をコーナーに放り投げ

ラリアットを狙いますが

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何とその前に馬場がコーナーで崩れ落ちたのです。

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直接コーナーにぶつけられた後頭部への衝撃か

或いは頸椎か胸椎か

ともかくこの攻撃が致命的となって

馬場はフォール負けを喫しました。


心配そうに近寄る鶴田

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必死で介抱する永源

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結局、自ら立ち上がり

悲壮感たっぷりながらも

最後は笑顔でファンの悲痛な声援に笑顔で応えた馬場

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実は本シリーズが

天龍が離脱しての最初のシリーズであり

馬場自身も文字通り

「○体に鞭打って」のメイン登場だったのでありましょう。


今見ますと、「してやったり」感も満載に思えますけどね(笑)。

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