1980年代、新日マットの抗争は
新日対国際軍から、対維新軍、対マシン軍…
そして、UWF5戦士のUターン参戦により
新日対UWFへ変わり
更に87年には、長州のUターン参戦により
世代闘争へと移っていきました。
そんなことから
昭和62年9月7日、京都府立体育館では
A猪木、藤原喜明 対 藤波辰巳、前田日明
という夢の混在タッグマッチが実現したのです。
どんなシチュエーションであれ
注目すべきはやはり、猪木と前田の絡みでした。
そして、この試合では非常に注目すべき
両者の攻防がみられたのです。
前田の両足を固めた猪木は
上からナックルパートで前田を殴ると
下から前田も応戦
そして態勢を入れ替えて
猪木をボッコボッコに殴りました。
更に猪木の足を決めるや
スタンディングで、先ほどのお返しとばかり
そのまま、自らは後方に倒れます。
元祖インディアン・デスロックでした。
絶叫の猪木ですが、全く動くことができません。
「このままではヤバい」と思った藤原が慌てて救出
難を逃れた猪木は延髄斬りから卍固めを繰り出し
意地を見せたのです。
結局、試合の方が藤原にローキックを仕掛けた前田が
そのまま一瞬の隙をついて丸め込み
先月29日の自主興行でのシングルで負けた借りを返した形となりました。
試合後は、M斎藤が乱入し
同じナウリーダーでありながら、猪木に対し
「巌流島での戦い」を申し入れます。
この時期はまだ長州のブラウン管登場はNGであり
闘いの流れも混迷状況
この試合はそんな時期に実現した
まさに「混迷マッチ」だったと言えます。
しかし、猪木と前田の絡みは
どんなヤバそうな状況にあっても
最後は延髄や卍を猪木が決めるという展開となります。
一体、どこまでが「プロレス内」で
どこからが「外」だったんでしょうか。
もしかしたら、攻防の全てが「内」だったのではないか
と、最近思ってます。
猪木の衰え、前田の不器用ぶりに加え
両者の関係、感情をひっくるめて
勝手に誇大妄想していたのかもしれません。
新日対国際軍から、対維新軍、対マシン軍…
そして、UWF5戦士のUターン参戦により
新日対UWFへ変わり
更に87年には、長州のUターン参戦により
世代闘争へと移っていきました。
そんなことから
昭和62年9月7日、京都府立体育館では
A猪木、藤原喜明 対 藤波辰巳、前田日明
という夢の混在タッグマッチが実現したのです。
どんなシチュエーションであれ
注目すべきはやはり、猪木と前田の絡みでした。
そして、この試合では非常に注目すべき
両者の攻防がみられたのです。
前田の両足を固めた猪木は
上からナックルパートで前田を殴ると
下から前田も応戦
そして態勢を入れ替えて
猪木をボッコボッコに殴りました。
更に猪木の足を決めるや
スタンディングで、先ほどのお返しとばかり
そのまま、自らは後方に倒れます。
元祖インディアン・デスロックでした。
絶叫の猪木ですが、全く動くことができません。
「このままではヤバい」と思った藤原が慌てて救出
難を逃れた猪木は延髄斬りから卍固めを繰り出し
意地を見せたのです。
結局、試合の方が藤原にローキックを仕掛けた前田が
そのまま一瞬の隙をついて丸め込み
先月29日の自主興行でのシングルで負けた借りを返した形となりました。
試合後は、M斎藤が乱入し
同じナウリーダーでありながら、猪木に対し
「巌流島での戦い」を申し入れます。
この時期はまだ長州のブラウン管登場はNGであり
闘いの流れも混迷状況
この試合はそんな時期に実現した
まさに「混迷マッチ」だったと言えます。
しかし、猪木と前田の絡みは
どんなヤバそうな状況にあっても
最後は延髄や卍を猪木が決めるという展開となります。
一体、どこまでが「プロレス内」で
どこからが「外」だったんでしょうか。
もしかしたら、攻防の全てが「内」だったのではないか
と、最近思ってます。
猪木の衰え、前田の不器用ぶりに加え
両者の関係、感情をひっくるめて
勝手に誇大妄想していたのかもしれません。