タカサキの「結局プロレスが好きっ!」

富山県氷見市の接骨&指圧鍼灸院院長の趣味ブログです。 ご意見はtakasaki@p1.cnh.ne.jpまでどうぞ

カテゴリ: 全日本(1980年)

80世界最強タッグ決定リーグ戦も終盤戦に突入した

昭和55年12月9日、大阪府立体育会館


夢の対決として

R・スティムボード 対 ザ・シーク

の一戦が行われました。

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試合開始前、リッキーはいきなり

ドロップ・キック3連発でシークを場外に蹴散らします。

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まだデビュー4年目の南海の黒豹ですが

母親が日本人ということで

今回が期待の初来日を果たしました。

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場外で呼吸を取り直したアラビアの怪人は

ゴングを鳴らす小槌を奪うや

リングに戻って、リッキーを襲います。

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今度は両者場外に移り

五寸釘でリッキーを流血させました。

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しかしリッキーも負けてません。


お返しにシークの額を割り、スリーパーで締め上げ

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そしてダイビング式の空手チョップを魅せました。

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戦況が不利になったシークは

レフェリーのタイガー服部を襲い

ここで反則負けの裁定が下ったのであります。

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その後も場外戦が続きましたが

シークを圧倒し

日本のファンに存在感を見せつけたのでした。

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このまま外人エースになるかと思いきや

なかなか全日マットで

「リッキー・フィーバー」とまではいきませんでした・・・


当シリーズにT・ファンクが「3年後の引退」を宣言し

次のスター育成を焦った感はありましたね。

ブッチャーとシークが壮絶な仲間割れを展開した翌年の80世界最強タッグ決定リーグ戦


ブッチャーはカマタ、シークはG・メフィストをパートナーに従えて参加

両チームは最終戦となった12月11日の蔵前国技館のセミファイナルで公式戦を行いました。

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優勝を狙うブッチャー組が8点で、ファンクスと同率首位であり、この試合に勝てば、優勝がかなり近づきます。


しかし、ブッチャーの優勝を阻止するためだけに参加した(?)シークは

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杭を凶器にカマタを血だるまにし

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ブッチャーに対しては、帯で首を絞めるといったえげつない攻撃はするものの

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この試合に関しては

制止するレフェリーに暴行を加えるという行為はしません。


一方、おニューの白い凶器シューズを履いて張り切るブッチャーは

メフィストに前蹴りを食らわすや、山嵐流バックドロップでカウント3を狙いますが

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間一髪シークが救出に入りました。

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ここまでシークの悪行に対し、優勝のためにじっと我慢の子でこらえていたブッチャーも

ついにキレて場外でシークとやり合います。

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そして気が付けば

両軍リングアウトの裁定が下ってしまったのでした。


嗚呼、無念なブッチャーの表情…

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後悔先に立たず…


これまで4回連続参加して、いずれも後一歩のトコで優勝逃したブッチャーでしたが

翌年より新日移籍のため、世界最強タッグに出る機会を失ったのです。

と、思っていましたら…

87年よりUターン復帰により

再び常連となりました。


優勝はできなかったものの、95年まで8回参加することになります(*93年は不参加)

個人的には、シンとのコンビ結成が嬉しかったですね。

全日暮れの祭典・80世界最強タッグ決定リーグ戦

12月1日、札幌中嶋体育センターでは

「夢の対決」として

G馬場 対 N・ボックウィンクル

の一戦が行われました。

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2年前の同シリーズで対戦した際は

両リンに終わってますが

今回はニックが「前AWA世界王者」という

箔をつけての再戦となります。

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王者時代は「ダーティーチャンプ」と言われていたニックは

開始早々、馬場を倒してコーナーに追い詰め、足蹴にし

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その後はリング中央で首4の字で締め上げました。

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しかし脳天唐竹割りで反撃した馬場

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以後は逆水平チョップ

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16文キック

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ココナッツクラッシュ

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河津落とし

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アトミックドロップ…

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と、得意技のオンパレードを披露するも

最後はニックに、場外へと連れ込まれ

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足4の字固めを決められて

またしても両者リングアウトに終わったのです。

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AWA王者には4度輝いたニック


真の実力を見せたのは、皮肉にも王者を最後に失った

あの鶴田戦(1984年2月23日)からでしょうか。


ちなみに

猪木とも90年12月26日に対戦が予定されていたものの

猪木が痛風症状により中止となりました。


残念でしたね。

昭和55年12月11日、蔵前国技館

80世界最強タッグ決定リーグの事実上の決勝戦として

公式戦45分1本勝負

G馬場、J鶴田 対 D・F・ジュニア、T・ファンク

の一戦が行われました。

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試合は大熱戦となり

残り時間も後5分というところですが

この試合に勝たなければBT砲の優勝はありません。


そこでラスト勝負をかけた馬場が

ドリーを16文キックで倒して

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すかさず鶴田につなぎ

トップロープから急降下ニードロップを狙いますが

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これをテリーが体を張ってドリーを守り、自らが犠牲になります。

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しかしあまりにダメージが強く

場外で戦意喪失しました。

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その間、馬場が河津掛け

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鶴田がダブルアーム・スープレックス

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フロント・スープレックスと畳みかけ

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ドリーは必至で返す間、テリーは若手に介抱してもらってる始末

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ようやく戦線に復帰するも

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すぐに鶴田と場外乱闘となり

G樋口がカウントを数えます。

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慌ててリングに戻ろうとしますが、それをリング内から馬場が阻止

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その隙を狙って、鶴田がリングイン


何と残り1分10秒で、日本組がリングアウト勝ちし

最強タッグを制したのでした。

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この試合はずっと見た事がなく

以前から、「機会があれば是非見てみたい」と思っていたのですが

こんなドタバタした結末だったのか!と、驚きました。


しかしオープンタッグといい、翌年のハンセン乱入といい

最強タッグの優勝が懸かった試合になると

テリーって、よく場外で一時戦線離脱することも分かりましたね笑

昭和55年9月12日、愛知・一宮産業体育館に於いて

NWA世界ヘビー級選手権として

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<王者>H・レイス 対 <挑戦者>M・マスカラス

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という、超・夢の対決が行われました。

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開始早々、フライング・クロス・チョップで

先制攻撃のマスカラスは、試合のペースを掴み

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中盤には場外へのレイスにたいしても

コーナーからのダイビング・ボディ・アタックを仕掛け

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更に鉄柱攻撃で流血に追い込みます。

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その後も、サイド・スープレックス

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或いはドロップ・キックで後一歩まで攻め込みますが

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そこは、レイス得意のノラリクラリの術中にはまり

バックドロップと

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ブレーン・バスターで切り返され

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そして、場外でももう1発食らい

残念ながら、両者リングアウトの裁定が下ったのであります。

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世界獲りはならなかったですが

日本におけるマスカラスの試合の中で

3本指に入る好試合であった!

と、個人的には思いましたね。


いやっ、もしかして

世界王者・レイスの器が大きかったんですかね。

掌の上で踊らせてもらっていた・・・のかも

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