タカサキの「結局プロレスが好きっ!」

富山県氷見市の接骨&指圧鍼灸院院長の趣味ブログです。 ご意見はtakasaki@p1.cnh.ne.jpまでどうぞ

カテゴリ: 全日本(1985年)

まだ見ぬ強豪と待ち焦がれた

「アフリカの大魔神」G・キマラが初来日したのは

昭和60年夏に「サマー・ドリーム・フェスティバル」と称して開催された

ジャパン・プロレス自主興行のリングでありました。


8月2日、札幌における開幕戦では

セミファイナルで大熊元司と対戦

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ジャングルの奥地で発見された真っ黒な大男は

槍と楯を手に巨大な木彫の仮面を被って入場


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顔とボディには、呪術的なペインティングが施されております。

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試合スタイルは、素足に腰布であり

いきなり大熊を倒してのクロー攻撃を仕掛けました。

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更にタックル、ヘッド・バッド、ネックハンギング・ツリーと荒技を連打し

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最後はジャンピング・エルボーでカウント3

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恐るべき強さを見せつけたのであります。


ジャパンのリングのセミで、なぜ大熊が抜擢されたのか

は分かりませんが

キマラの圧倒的強さが見られたのは

ほぼこの試合のみだったのは残念でした。


しかしながらそれでもなんだかんだと

G・キマラは、1号から2号に引き継がれ

気が付けば「全日のゆるキャラ(?)」として

ずっとずっと来日を続けてたのは、素晴らしかったですけどね

1985年3月14日、愛知県体育館において

R・ウォリアーズ(王者組)対長州力、K・カーン(挑戦者組)という

日本で初の、AWA世界タッグ選手権が行われました。


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思えば、5日前の3.9両国二大メインでは

長州は全くいいトコなく、ブロディに滅多打ちにされ

一方のウォリアーズは

鶴龍相手に消化不良の試合を行った

という事で、お互い共に

「名誉挽回」的な一戦と言えます。


先に登場した挑戦者チームは

非常に厳しい表情


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対するベルトを巻いた王者チームは

何やら余裕の表情でした。


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リング内に入るや

いきなり長州とカーンに襲い掛かった暴走戦士


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そのまま試合が始まりましたが

まるで長州を子ども扱い


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何とかサソリ固めを決めますが

これを何と腕立て伏せで切り返します。


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またアニマルは、140キロのカーンを高々とリストアップし

マットに叩きつけました。


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この日は両国とは違い

本来の実力を見せつけたウォリアーズ


しかしながら戦場を場外に移し

結局5分35秒、両軍リングアウトとなり

王者組の防衛となったのであります。


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今回も一方的にやられ

ほとんどいいトコがなかった長州でした。


しかし個人的には、ブロディとのタッグ戦と違い

余裕を持って、ウォリアーズの攻撃を全て受けているように見え

ブロディ戦のような危険な匂いもなく

安心感はあったように感じましたね。

全日プロ・年末恒例の5世界最強タッグ決定リーグ戦

85年大会開幕戦は11月21日、大阪府立体育会館での開幕戦


のっけから

S・ハンセン、T・デビアス対Ⅾ・キッド、Ⅾ・スミスという

注目の公式戦が行われました。

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全日に電撃移籍してちょうど1年

前年は鶴龍組、超獣組、世界王者組、ファンクスに次いで第5位という

好成績を収めたキッド、スミス組


超獣コンビにも10分以上の闘いを展開し

苦戦に追い込んだ実績があります。

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一方、今年からデビアスを新パートナーに指名したハンセンは

自身の2度めの優勝を狙ってる事でしょう。

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試合は両チームのコンビネーション合戦となりました。


ハンセン組のダブル・エルボーとアトミック・ドロップ

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キッド組のダブル・タックルとブレーン・バスター

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しかし5分過ぎ

試合権利のないハンセンが突如中に入り

スミスにラリアットをぶちかますや

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続けてデビアスはパワースラムを浴びせ

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これがフィニッシュとなり

何と5分余りでハンセン組が勝利したのです。

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勝ったハンセン組は、この勢いのまま優勝


今なおファンの間では

「ハンセンの数あるパートナーの中では、デビアスが最高」

という声が多いですね。


昭和60年2月21日、大阪城ホールにおいて

長州力が立ち上げたジャパンプロレス主催の初興行が行われ

メイン・エベントでは

長州が天龍源一郎と一騎打ちを行いました。

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正月からの全日主催の「85激突!!オールスター・ウォーズ」では

連日のごとく、タッグで戦い続けた両者


総括的には、「攻めの長州、受けの天龍」の感がありましたが

何と試合前にラリアットの奇襲をかけたのは天龍であります。

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その後もパイル・ドライバー、ブレーン・バスターと仕掛け

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5分過ぎには、初公開のパワー・ボムを繰り出しました。

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しかし、これをかわした長州

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両者はそのままエプロンでもつれました。

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いや、天龍にヘッドロックをかけられた長州は

この狭い空間で何とバック・ドロップを狙ったのです。

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エプロンに残った長州はリングに戻り

場外に転落した天龍は戻ることができず

9分12秒、そのまま長州のリングアウト勝ちとなりました。

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立場的には当時、ジャパンのエースの長州と

全日・第三の男の天龍


この差が表れたのかもしれません。


当時高2だった私はちょうどこの時、期末試験の真っ最中であり

下校時に友達と試験の事より

この試合の結果を予想していた記憶があります。


「オマエは本当に好きなんやね~」

と、プロレスファンではないクラスメートのほとんどから

呆れられてましたね・笑

長州が全日参戦して4ヶ月経った

昭和60年4月23日、相模原市立体育館


リング上には、立会人として

「前NWA会長」J・クロケットJR氏と

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「PWF会長」R・ブレアース氏が見守る中

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NWA世界ヘビー級選手権試合として

R・フレアーと長州力の一戦が行われました。

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睨み合う王者・フレアーと挑戦者・長州

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試合は王者側が優勢で

ニークラッシャーや4の字固めで長州を苦しめます。

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なかなかペースを握れない長州ですが

20分過ぎにようやくサソリ固めを決め

そしてラリアットを炸裂させました。

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さあ反撃開始といきたいところでしたが

結局27分4秒、両者リングアウトの裁定が下ったのです。

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前月のブロディやウォリアーズに続き

フレアーに対しても、相手が有利の試合展開ゆえに

「長州はやはり外人が苦手」と酷評される試合が続きました。


私はアンチ全日でしたが

長州絡みの夢のカード実現には悔しい反面

単純に正直嬉しい気持ちがあったものです。


いや・・・この5日前には、新日で

猪木対ブロディの初対決が行われており

「1年前には絶対に有り得ない」夢の対決が

1週間で2つも実現したんですから

プロレスファンとして、嬉しくないはずがないですよ。


週刊雑誌を読むだけでも、ワクワクしましたから。

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