ジャパン・プロレスが自主興行した
1986年5月2日、後楽園大会
セミファイナルでは
長州力対高野俊二の一戦が行われました。
この時、カルガリー・ハリケーンズに所属していた
弱冠22歳、身長2Mの高野
まだ「未完」ではありましたが
将来を有望視されての大抜擢であります。
しかし試合では、ジャパンのエースに君臨する長州が
寝技でも立ち技でも、高野を子ども扱い
ロープに飛ばしての2発目は、長州に読まれて不発
逆にラリアットを食らい
サソリの餌食に・・・
僅か4分38秒の出来事でした。
さて高野は
以後の活躍が期待されたのですが
「練習嫌い」という自業自得(?)により
この試合以上のシングル・ビッグマッチはなく・・・
更に色んな団体を渡り歩いた揚句
最終的には、「野良犬」拳磁として
独自のプロレスを展開するに至ったのであります。
ただ1度、1996年に
新日とインディー連合軍の対抗戦が企画された事があり
その時は、健介とのシングルが予定されました。
しかし高野自身から
「練習嫌いの俺が練習好きの健介とやるのは失礼」
という、誠に最な理由で対戦を拒否
後に、健介が大仁田とも対戦した事を思うと
「失礼を承知の上で、やってほしかった!」
と思いますけどね。