昭和59年8月24日、、若松マネージャーと共に

突然後楽園ホールに現れたストロング・マシン


それ以後、増殖を繰り返して

新日マットで暴れまくっていたものの

翌年4月18日、両国での藤波との一騎打ちで

若松の無法乱入にキレて仲間割れ


スーパー・ストロング・マシンと改名した4日後の

5月17日の熊本大会では、藤波から

「お前は平田だろう」と、テレビ生中継で正体をばらされ(?)

マスクを一瞬脱ぐも、すぐにタオルで隠し

素顔を晒さなかったマシン


同月31日の大宮市民体育館では

A・ジャイアントと一騎打ちを行うこととなりました。

マシン対アンドレ

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アンドレの前を先導するのは

何と若松であります。

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この若松の「手のひら返し」に

マシンも呆れ顔をしてるのが、マスク越しからも分かります。

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そしていつの間にか、猪木がリング下に現れました。

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猪木を見つけたマシンは

「引っ込んでろ」という態度を示しますが

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猪木は厳しい表情で腕組身をしたまま動きません。

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試合は、マシンが油断した隙に背後からヒモで首を絞め

アンドレが襲い掛かりました。

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1対1でもマシンが不利なのに

この理不尽な1対2の状況に

猪木が疾風の如く、リング内に入り

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若松に延髄斬りを食らわしました。

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これに怒ったアンドレが対戦相手のマシンを無視して

猪木に襲い掛かります。

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結局、訳の分からぬうちに

2分38秒、無効試合の裁定が下されたのです。

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一体、新日はマシンをどうしたかったのか?


この時期、まさに

マシンは迷走状態であったと思いますね。


2ヶ月経った8月5日のジャパン主催の大阪城に登場し

長州に対戦を表明したマシンの気持ちも分かるというものです。