「今でもマサさんと語り草になっているのは、一番最初にやった東京体育館。あんなキツイもんなかったからね。あのプレッシャー…不安感じゃないよ。凄い心地よいプレッシャーね。ここでとにかく鶴龍に勝とう、勝とう…あの陶酔の仕方は凄かった。試合後、マサさんと六本木のカフェバーに行ったけど、30分間ぐらい、お互いにテーブルで向き合ってビール飲んでも、一言も話せなかった。話ができないの。疲れちゃって。そういうモノを経験しながらメイン張ってきてるから、自分でも凄い自負あるよ。“丸くなった”とか言われても、“ふざけるな。このくそ馬鹿野郎!”と思っちゃうわけ。“いつも、そういうモノを出してやってる”って自負あるから。今でも俺、あのビデオ持ってるよ。落ち込んだ時とか、”丸くなった”って言われた時に、あのビデオ見るよ。客を手のひらに乗せたっていうか…全日で最高の試合だったな」


上記は長州が天龍との対談(週刊ゴング第341号)で、語った言葉であり

その試合とは、長州らジャパン・プロレス軍団が

最初に全日に乗り込んだ、昭和60年の正月シリーズ

「85激突!オールスター・ウォーズ」最終戦の

2月5日、東京体育館で行われた

J鶴田、天龍源一郎 対 長州力、M斎藤

の一戦でした。

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まさに厳しい表情のM斎藤

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天龍に対し、得意のアーム・ホイップから河津掛け

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そして鶴田には、まず2人かがりの攻撃を仕掛けてた後

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バックドロップを浴びせ

そしてスリーパーで締め上げたのです。

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しかし、15分過ぎに戦場は場外に移り

これに長州と天龍も加わり

大混乱の中、両軍リングアウトとなってしまいました。

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M斎藤は前年4月6日に

K・パテラが警官相手に起こした乱闘事件に巻き込まれ

公務執行妨害と暴行の罪で

禁固2年6ヶ月(執行猶予6年)の判決を受け

裁判前の6月6日から、刑務所に収監されてしまったのです。

よって、このタッグ頂上対決は1度きりとなり

以後、長州のパートナーは谷津に

完全定着することとなりました。


しかし、斎藤には不運でありましたが

結果的に言えば、この刑務所生活が逆にハクを付け

猪木との最後のライバルという形で

2年後に新日にUターンし

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巌流島の決闘へと繋がったといえるかもしれません。

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また二度と遭遇不可能と思われていた斎藤と天龍も

平成4年10月にWARのリングで、睨み合う形となりました。

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「新日本は半端じゃないぞ!」

と叫んだ斎藤でしたが

両者のシングルが実現しなかったのは残念でしたね。

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