昭和の時代、我が富山県はテレ朝が入らず
「ワープロ」は1ヶ月遅れの放送でした。
なので私は、中3の修学旅行先で
初めて生中継で観る事ができたのですが
その記念すべきTV生観戦第1試合が
「第1回ⅠWGPシリーズ(決勝リーグ戦)」として
1983年5月13日、大宮スケートセンターから中継された
長州力、K・カーン対H・ホーガン、カネックの一戦だったのです。
ホーガンはアメリカ代表
カネックはメキシコ代表
カーンはアジア代表
アジア予選が2年前から行われていたとはいえ
長州は決勝リーグに残る事はなく
このメンバーの中では、何となく
1人だけ「カヤの外」といった感じでした。
そして先月、国際軍を離れたA浜口が
(テレビ中継としては)初めて維新軍のセコンドとして
ピッタリ付いています。
さて試合の方は、と言いますと・・・
「長州がラリアットでカネックをフォールするだろう!」
と予想していました。
しかしカネックとて、今回は代表選手として
ⅠWGP世界大会に参加している身
ましてや長州とは1年前に、自国メキシコに於いて
UWAのベルトを賭けて抗争していた因縁もあり
決して負ける訳にはいきません。
長州に対して、フライング・クロス・チョップを浴びせるなど
優勢に試合を進め、ホーガンにタッチ
代わったホーガンは畳み掛けるようにして
ジャンピング・ニー・パットを食らわした後
「何と長州のフォール負けか!?」と思いましたが
間一髪浜口が乱入し、3カウント寸前にこれを阻止
維新軍の反則負けになったのでした。
試合後に揉み合うリングには
国際軍であるR木村と寺西勇までもが登場し
長州、浜口とやり合い、罵り合い大混乱
気が付けば、ⅠWGP代表者のホーガンもカネックも
そして、同じく代表者のカーンも
このリング上の光景を見て、ボー然としてたのであります。
あわや、ホーガンにフォールを奪われるところだった長州
実は浜口と共に、3日後の三重県津大会を無断欠場し
以後のⅠWGPシリーズをボイコットする事になります。
もしかしてこの試合の時点で
多くの葛藤や迷いがあったのかもしれないですね。
翌シリーズよりまた新日巡業に参加しましたが
失踪中は「新団体設立か!?」とも噂されました。
長州、浜口らが新日を正式に離脱し、全日に主戦場を移したのは
この1年4ヶ月後の事です。
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。