1981年1月18日、後楽園ホールに於いて

G馬場・3000試合連続出場突破記念試合・第1弾として

AWA世界ヘビー級&PWFヘビー級のダブル選手権

ジャイアント馬場対バーン・ガニアの一戦が

60分3本勝負で行われました。

図1

図2


第26代AWA世界ヘビー級王者、V・ガニア


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第5代PWFヘビー級王者、G馬場

(*ナレーション、関根勉・笑)


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白熱した攻防から10分過ぎ

ガニアは、スクリュー式のドロップキック2連発を食らわし


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馬場の背中に飛びつくように、してスリーパーホールドを絡め

14分55秒、1本目を先制しました。


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しかし2本目は負けじと馬場



馬場は、ガニアのドロップキックを叩き落し


河津落としから16文キックを決め


3分58秒、片エビ固めで2本目を取り返します。


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決勝の3本目

ガニアがまたもスリーパーを決めますが

馬場がロープへ逃げ、両者トップロープ越しに場外転落



結局、そのまま両者ダウンしてリングへ戻れず


5分25秒、両者リングアウトの裁定が下ったのでした。


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馬場がPWFタイトル6度目、ガニアがAWAタイトルの防衛に成功という事で

終わってみれば、それぞれ得意技で1本ずつ取り合っての引き分け



まさにこれこそが「昭和の王道」プロレスと言え


あの9.23田コロのハンセン対アンドレを抜いて


東スポ・年間最高試合となったのであります。


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しかしながら、あまりにも定番通りの終わり方に、


「ガッカリした!」という方もいたようです。



本来ならば、「馬場が奪取し、その後世界サーキット!!」


というのが一番理想だったんでしょうけど・・・



そして、その夢は3年後に


鶴田が叶えてくれましたね。