1982年春に開催され
3月17日、岐阜市民センターに於いて
A猪木 対 R木村
の公式リーグ戦が行われました。
過去4大会すべて優勝し、5連覇を目指す猪木は
ショルダー・アーム・ブリーカーから
腕ひしぎ逆十字固めで木村を仕留めようとします。
しかし、過去にこの技でレフェリーストップで負けている木村は
脱出後、逆水平チョップで反撃しますが
猪木は延髄斬りを浴びせました。
まともに食らった木村は
そのまま場外へ転落
「この好機を逃すか」とばかり
木村を追っかけ、自らも場外に出た猪木
しかし、これが墓穴を掘ってしまう結果となり
9分24秒、両者リングアウトに終わったのです。
実はこの試合前まで猪木とR木村の対戦成績は
猪木の1勝(TKО勝ち)2敗(反則負け、リングアウト負け)であり
4試合目を終えても、結果だけ見れば
猪木はタイに持ち込むことはおろか
まだフォール勝ちすらできませんでした。
猪木が木村からピン勝ちするのは
半年後の9月21日の大阪大会であり
その後、1対3を2回やってますので
勝ち越すのは,更に7ヶ月後の
翌年4月3日の蔵前大会となります。(*1対3も木村の勝ちに含めると、最終的には猪木の6勝4敗)
よく猪木とR木村の試合では
「猪木がズタボロにした」とか、「屈辱的な扱いにした」とか言われてますが
私は、「決してそんなことはない!」
と思ってます。
むしろ、「アニキ」であるG馬場は
木村には1度も負けておらず(*対戦成績は多分、G馬場の5勝0敗)
言ってみれば
馬場の方がR木村に対する扱いは悪かったんじゃないですかね笑